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VOL.03 [2004.8.20]
朋、遠方より来たる

 「朋、遠方より来たる、また楽しからずや」
中田宏横浜市長が来青し、久々に三日間をふたりで過ごし、ねぶたを思いっきり跳ねた。
市長は決して遊びに来たのではない。県庁職員に対して、「横浜市における改革の二年間」を講演すると共に、県の広報TV番組への出演のための来県である。TVの方は「中田市長の訪れる青森の夏」の趣旨で岩木町でグリーンツーリズムの体験(トマトやトウモロコシ、ハーブの収穫とそれを材料にしたピザづくり)や、百沢温泉の露天風呂、八甲田の蔦沼めぐり、奥入瀬渓流歩き等々忙しく県内を駆けてもらった。
 しかし、圧巻は、69万人のギャラリーの「ナカタコール」を前に跳ねたねぶたであった。
 さすが、39歳。跳べる!跳べる!大したパワーだ。
 中田市長とは国会でグループを組み、そしてそれぞれに前後して、故郷で「改革」を真に断行するために、行政職に就いた。
 共に心に期するは「地方から(横浜から、青森から)日本を変える」の覚悟である。
 朋(とも)、中田市長の横浜での改革断行は、メディア等で万人周知の事実である。県庁での講演会では、改革三年目に入り、さらに3つの市立病院、市立大学、市交通局の具体的改革の話や、公共の仕事が全て市のやるべき仕事ではなく、民間との協働をいかに為すか等々を熱く語った。
 さて、自分も知事二年目に入った。就任してすぐの日曜日に田子に赴き、手つかずであった県境産廃問題が実務のスタートであった。
 その後は、県財政の実情(1兆2千億円余りの借金、それが今後も過大な投資のツケでふくらんでいくこと、内2千億円余りをなんとかしないと財政再建団体に転落する現実)をきちんとお示しし、県民各位・職員それぞれに少しずつの我慢をお願いする5ヶ年間の「財政改革プラン」を実行するに至った。
 自分の最大の約束は、破綻寸前県財政の再建と雇用対策に全力を尽くすことである。
 そこで、予算編成にあたっては改革プランを進めつつも人材育成を念頭に置きながら、『産業・雇用』、『環境』『共に支え合う、健やか、安心の「福祉」』の重点枠を設け、特に雇用刺激策については政策的経費の11%にあたる131億円を充て、分野分野における「仕事づくり運動」を展開させた。具体的には環境エネルギー・生命食糧両特区への投資やジョブカフェ、コミュニティビジネスや起業支援制度や企業誘致制度、資金支援制度等があげられる。
 また、本県の得意分野を伸ばすべく攻めの農林水産業の一環として、県産品を売って売って売りまくる総合販売戦力課を設置し、これに合わせてトップセールスに走り回り、その一方で本県一次産業の要のひとつである良質の水資源を保全し、水循環を再整備する、環境への公共投資を進めるに至った。
 その他、米・りんご・農作物やホタテ等冷災害対策も皆で知恵と工夫を出し合い、国とのやりとりもみっちりやらせていただいた。
 かくして、またたく間に正月を迎え、新たなる決意で改革元年と思いきや「三位一体」が直撃し、突然さらに1千億円の財源不足が生じることとなった。
 ままよ、「艱難辛苦汝を玉にす」だ。
 今、第二弾の大改革案、公業務とは何か、県のなすべき公共の仕事とは何かに踏み込んでのプランを作成している。
 本県は、県民の皆様にサービスを提供してゆくためにも存続しつづけなければならない。だからこそ、さらに不退転の決意で、この第二弾の行財政改革を成し遂げるべく、県民の皆様のご理解とご協力いただきながら、前進して行きたい。本県の再生・新生は必ず成る。すばらしい環境と水資源、食糧とエネルギーにあふれる本県の未来を県民の皆様と拓いてゆきたい。
 「中田よ、元気をありがとう!」

三村 申吾

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