新春のお慶びを申し上げます。
皆様方におかれましても、それぞれに決意も新たに素晴しい一年のスタートを切られたことと存じます。
私も元気いっぱい、お餅もいっぱい食べて、お正月を過ごしました。
暮れには仕事納めあとの3日間を利用して、三千代と懸案の熊野古道(和歌山の世界遺産)を歩いて来ました。
「懸案」とは5年前梅雨の終りの“湿舌”という悪天候に遭遇して中途断念した中辺路(なかへじ)ルートの十数キロと那智の滝周辺を踏破することでした。
ところが、やあ全く、すごいすごい、ここは南国の青森かというぐらい雪やみぞれが降って降ってまた降っての状態でした。
中辺路は、かつて蟻の熊野参りと称されるくらい人々、あるいは上皇や天皇までもが列をなした熊野三所権現への参詣の道々のひとつですが、中世においてはあまりの難路続きで、多くの旅人が信仰に命を捧げています。
さて自分たちも山を昇り、下りまた昇っては下りの連続の中で、次第に会話もとぎれとぎれとなり、ただ自分の息の音と、みぞれ雪に泥濘状となった足元をみつめて、一歩一歩を進む苦難の道程でした。
古人(いにしえびと)は魂の再生を願って熊野への困難窮まる道を歩んだといいます。
電車も車もろくに宿もなく数ヶ月を歩んだ古人には、到底及ばない自分の歩みでしたが、日頃の邪念や雑念が少しずつはがれては落ちていく思いがしました。
それは沖縄で言うところのまぶい(魂)が落ちるのとは異なって、「我思う、故に我あり」(デカルトの言葉ですが)の我(われ)が雪の古道や熊野の山々に溶けていく思いでした。
しかし、そんな思いも束の間。
宿の温泉につかり、生ビールをぐいぐい飲んだところで、はや元の木阿弥。地酒『八咫烏』が入る頃には「我酔う、故に我ハピィ」と簡単に還俗したしだいです。
そうして、大晦日に百石の実家に帰り、元旦から3日間見事に喰っちゃ寝正月となりました。
ン〜、ダイエットがんばろう。
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