ホントによく雪が降る。
このところ、情けないけれど窓の外見るたびに、まず除雪費用を考えるようになった。生まれの百石町では、ひとシーズン数百万円だけ!の冬もあったから、数十億単位のコストに唸る自分を許してもらいたい。
しかし、今日は前向きに行こうということで、「雪」の歌を口ずさんでみた。
♪雪やこんこあられやこんこ〜
♪雪の降る街を雪の降る街を〜
♪雪は降る〜あなたは来ない〜
♪津軽平野に〜雪ふ〜る頃はよう〜
♪目覚めた瞬間〜町を埋め尽くす大雪〜
♪今年〜最初の雪の華をふたり〜
もっともっといっぱい雪の歌はあるだろう。
おそらく雪の歌だけで、雪の街コンサートができるくらいあるだろうと思う。どれも本当にしみじみと、自分たち雪国の人間の心に訴える歌だと思う。
ところで、『国歌大観』という和歌の集成とその索引がある。掻い摘まんでいえば、万葉集や古今集など二十一代集や日記・随筆・物語などの中の和歌を集成し、語句ごとに分類して索引をつけた、とんでもない、しかし大変便利な著作である。
明治34〜36年に刊行されたのだが、日露戦争の騒擾期であっても、学者の世界はやることはやっているなと感心する。しかしながら、コンピュータのない時代だったわけだし、一首一首を分解して並べなおすという気の遠くなるような作業を、よく明治の人は為し遂げたものだと思う。根性が違う。「ふる雪や明治は遠くなりにけり」だ。
ともあれ、古えにはどんな雪の歌があるのだろうかと大観を引いてみた。
雪降れば冬籠りせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける(紀貫之)
あさぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪(坂上是則)
梅の花それとも見えず久方の天霧る雪のなべて降れゝば(伝柿本人麻呂)
雪降りて人も通はぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ(凡河内躬恒)
なんて綺麗な言葉と、それによって表現される心の景色かと思う。季節や風景、その中において営まれる暮らしやその感情の千差万別を歌に詠み込む、日本人の感性は本当に素晴らしいと思う。
しかして我が青森にも、雪と文学を結びつけようというすばらしい試みである「雪のまち文学賞」がある。日本いや世界でも「雪」をテーマとした文学賞は稀有であろうと思う。
杉山陸子さんたちのすばらしい発想力に賛辞を送りたい。
確かにまだこの賞からはヒット作品や作家は出ていないけれど、「継続は力なり」。ここを経て、芥川賞、直木賞そして、TV化、映画化!次代の太宰や長部や寺山が、青森と雪のイメージをキラキラと国内外へ発信することを大いに期待している。
―――とは云うものの、降って、降って、また降ってである。何とぞ山のほうにい〜っぱい、里の方はそれなりに、と雪景色をみつめている。
新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事(しけよごと)
旧正月(2月9日が旧暦元旦)でもあるし、縁起良い大伴家持の一首でごきげんよう―――
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