linkプロフィール心象スケッチフォトダイアリー政策三村申吾の姿勢ホーム
VOL.08 [2005.2.23]
憂鬱もしくは飯盒炊爨

 これらの文字は漢字検定なら何級だろうか。
見るだに鬱陶しいが、諳んじて書けるタイプの文字ではない。拡大鏡で辞書を参考に書いていたのが、多くの人の真実だろう。
 
しかし、今やご存じ、「スペースバー」と云うか、ローマ字やかなで入力したものをタッチ一発「変換」すれば、ちゃんと漢字になる。なんとなんと便利な時代になったのだろうか。
 
話は20年以上昔となる。
 
「お〜い、三村君」とU部長に呼ばれた。編集者時代、担当作家の新作の進行状況のことだったのだが、デスクの上に♪この字なんの字〜 と唄いたくなるぐらい悪筆というか、アートというか、生原稿が広げてあった。

 「 I 原先生だよ。どうだい、キミ、よめるかね。」
 「いえ、草書体はちょっと・・・」
 「草書じゃないんだよ。普通にかかれたんだよ・・・」

 出版部長が作家先生を直に担当したままということはめったにないわけだが、実際はデビュー以来付き合ってきたU部長でないと「原稿(いや正確には字)が解読できない」のが理由のひとつであったと後に聞いた。
 
「字」のことではとても人様のことをあれこれ云えない自分であるけれど、 I 原先生のはすごい。芸術だ。爆発だ。そのままで揮毫だ。
 
自分は字下手については自覚しているので、なるべく色紙だろうが、揮毫だろうが、お断りしている。
 
謙虚なのではない。家族一致して異口同音にやめた方がいいわよと云う。
 
依頼をうけた色紙など何十枚か溜込んでから、意を決して気合だけで恥も外聞もなく筆をとっているのが現状である。
 
ところで、B出版社幹部になった友人から聞いたのだが、「フロッピー入力」時代になってからは、 I 原先生も解読担当編集者は不要になったらしい。
 
ちなみにその I 原先生とはなぜか職場が変わるたびに同業になるご縁があって、よく声をかけていただいている。知事会でも「おい元気か」「はい」で、にこっと笑う。いい顔してる。
 
永田町職の頃には、なんとあの紀尾井町の福田家でゴチにあずかったことさえある。その時はペルーのフジモリさんも一緒だった。福田家は日本の誇る超有名料亭で、小泉総理の官邸日記によく出てくるほか、森前総理など政界のみならず、囲碁名人戦や文学賞の選考会とか、山口瞳さんの銀婚式とか、エピソードにこと欠かない。官邸日記に出るのだから、このご時勢でもしっかり繁盛なのだろうか。
 
本題に戻ろう。
 
フロッピーそしてCDあるいはフラッシュメモリ、ワープロからパソコン。なんと不思議にも、ローマ字やかなで入力した文章を変換して、漢字カナ交じり文にしてくれた上に字間や字数やレイアウトまで整えて、かつ指定できる時代になった。
 
つい二十数年前まで「ガリ版」を「切って」いたことを想い出す。インクとわら半紙の匂いが懐かしい。
 
さて、先日「読み書き算盤」と書かせていただいた。確かに「書き」については、スペースバーでの変換で画期的に便利になった。表題の憂鬱のような難字では特に抜群の効果である。
 
しかし、簡易な字ほど基礎的な国語力が問われることになった。
 
例えば、公園・公演・後援・講演とか、消化器・消火器・小火器とか、先行・先攻・専攻・専行、親交・新興・進行・振興・侵攻・信仰などいくらでもある。
 
実は、就職問題あれこれを、企業の皆様にお会いするたびにお願いしているわけだが、先方の要望のひとつに、漢字は書けなくても機械がやるが、音は同じでも似て異なる意味の字が多いので、そこらあたりぐらいはそちらで(学校教育で)身に付けさせて来てほしいというものがあった。
 生徒諸君、そういう次第だからメールだけではなく手書きの手紙(ラブレター)でも[交歓・交感・交換・公刊・好感](さあ変換しよう)しあって、漢字力を研いてくれ。

三村 申吾

Copyright(C) 2006 Shingo Mimura. All Rights Reserved.