読書活動推進大会の催しのひとつとして、作家の高村薫さんと対談をした。
高村さんは青森を舞台に三部作を予定しており、これまでに第一部『晴子情歌』、第二部『新リア王』という骨太の小説を発表している。
小説の中では木造の筒木坂や野辺地、八戸が舞台として描かれている。太宰の『津軽』の金木や小泊や蟹田のような文学の名所となることを期待する。
さて高村さんは、言葉への思い入れが誰よりも深い作家である。
作品のどのページの、どの場面においても、これでもかこれでもかと言葉の波が私たちに押し寄せてくる。だから私たちは、高村さんの文章に向かう時、一瞬たりとも気を抜くことができない。
高村さんはある雑誌のインタビューでこう話している。
「言葉が貧しくなったことで、日本人がどんどん薄くなっているという実感があるんです。(中略)今は複雑なことを複雑なまま、しっかりと捉える言葉や忍耐、生きることの誠意が失われている。今の日本は政治を筆頭に、複雑なことがらを複雑なまま、きちんと捉えるということがされていない。どうせわからないだろうと端折ってしまった結果残ったのは、まあいいや、なんとなく嫌いといった曖昧な感情だけです。そんな感情だけで国が動いていることに対する明確な“ノー”の気持ちが私にはある。物書きとして私ができることは、複雑な言葉を提供することです。悪あがきかもしれないけれど、私は言葉を残したいんです。自己満足でない、人に伝えるための、人に伝わる言葉を」
長い引用になったけれども、書き写すことで言葉に対する高村さんの思いを共にしたいと考えた次第である。
『晴子情歌』の取材以来十年、高村さんには、折々に様々のことを学ばせていただいている。
今回高村さんには対談の前に「晴子情歌・新リア王と青森」と題して、東日本では初めてという1時間半にわたる講演をしていただいた。
その講演で私たちは
「ある風景はそれを言葉にする人によって成立つのです」
「世界はつねに眺めるものを言葉にする者によって成り立ち、新たに表現されるたびに新たに蘇るのです」
「風景が私を小説に連れて行くのです」
といった作家の内面や深遠に触れる言葉を聞くことができた。
また作品同様に、ひとつひとつの言葉を丁寧に選んで訥々と語る高村さんの気品あふれる姿勢に、深く感動したのは自分だけではないだろう。
先程のセンテンスはほんの一例であって、私たちは作家高村薫の更に沢山の言葉にふれることができた。ぱるるプラザ溢れんばかりのお客様においでいただいたが、本来もっと多くの方々にこの講演をお聞かせしたかったと思っている。
今回の講演と対談を経て、改めて強く決意したことがある。
それは、かつて「言葉」を仕事にしてきた自分なのだから、今の政治という立場にあって猶の事、言葉を大切にして行こうという思いである。
政治という仕事の第一歩は言葉、「初めに言葉ありき」と心底感じた次第である。
それでは、さあ今週も元気に働こう。
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