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VOL.31 [2006.9.22]
秋鮭が来た!!

 百石の秋祭りで、久々にUさんに会った。
 Uさんは、鮭の定置網のプロであり、かつては北海道東にチームを組んで出かけては、定置網をつくり、据え付け、秋鮭を捕ることを仕事としていた。
 百石から三沢の浜にかけては、定置網漁法の船頭(今は漁撈長というようだ)を輩出した土地柄である。
 船頭たちは、定置網づくりの技術プロ集団として北海道各地に出向いては、大いに働いていた歴史がある。
 その技術者集団を率いる船頭ともなれば、収入も相当なものだ。また人物識見、極めて高いものがある。道東訪問中、彼らの一言一言に何とも大変学ぶものがあった。
 当時は、彼ら北海道東組と関東土木建築組に対して、一年おきに町長による訪問激励が行われていた。
 道東のプロたちの番屋訪問は、10月初旬網走からスタートし、標津、知床、根室、納沙布、釧路から厚岸、広尾までの凡そ一週間の旅となる。
 小さな町にとって彼らの収入、即ち税収は大きな財源となるわけだし、そのためには土地土地の網元さんたちに対して、翌年の就労も含め、お礼とお願いが大切な仕事なのである。
 自分で云うのも何だが、35歳、当時として日本一若い町長は、我が町民たる船頭チームのみならず、現地道東の網元さんたちにも、「良く来た。めごい、めごい」と有難いほど可愛がられた。また自分も、真心から膝を折り頭を下げて、我が町の誇る漁撈集団の事を熱心にお願いした。
 秋鮭が、とてつもなくお金になる時代でもあった。
 しかし間もなく網が合併され、また定置技術を道が道漁民に研修する仕組みが確立される中で、我が町の船頭チームの相当数が道東の定置から離れざるをえなくなった。
 そういうわけでUさんも、今は地元で定置に携わっている。
 秋祭りのパレード途中でUさんを見かけ、今秋の状況を聞いた。
 「どうだい」「今朝も500とった。」「クラゲは」「いない、いない」「それはよがった」「ンだンだ」と久々の会話となった。
 漁が順調なUさんの笑顔がうれしかった。
 秋の風さわやかな中で海に生きる人たち、海に生きて来たひとたち、我が町の漁撈のプロたちを番屋に訪ね、海での生き方を語ってもらった35歳の日々を想った。
 さあ、おいしい青森の鮭、みんなで地産地消!!

三村 申吾

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