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VOL.48 [2008.2.16]
淀川に降る雪
 所用があって大阪の梅田駅から阪急電車に乗った。大阪は11年ぶりの大雪で、電車が動くだけでもありがたかった。
 梅田からの阪急電車は、京都線・宝塚線・神戸線の6本の路線が並行して、2つ先の大分岐点「十三(じゅうそう)」の駅まで上り下りの電車が次々に往来している。
 下り線の場合、ひと駅目の「中津」を過ぎると、淀川の長い鉄橋を渡ることになる。淀川に架かる3本の長い鉄橋の6本の線路を行き来するあずき色のレトロな阪急電車群の風情が何ともいい。
 我が家の末っ子は、大変ないわゆる“鉄ちゃん”で、JRのチャレンジ2万キロ何とかに挑み、額入りの全特急ピンバッヂをゲットしたくらいだ。
 よって、大阪ならUSJの全アトラクションではなく、市営地下鉄の全路線、阪神、近鉄、南海の(タイプの異なる)全車種、阪堺軌道線制覇を達成している。
 しかし
 「阪急はあずき色だけだから、(乗らなくて)いい」
 そうだ。
 自分は沿線の町並みや風景に邪魔にならないように、まわりに溶けこみやすいシックなあずき色のトーンで車両を揃えているところに、“小林一三”阪急の姿勢と気品と並ならぬ戦略を感じるのだが、考えすぎだろうか。
 そんな阪急電車を淀川べりの土手の上で、川や街並みと一緒に眺める事は中々に乙である。いや、とてもよろしい。妙に神経が落ち着く。

 昔の仕事だが、関西へ原稿取りに来て、相手はちっとも書いていない上に、簡単には仕上がらないわけだから、パチンコをするでもないし、山口瞳先生のお供でもないから、園田競馬にアラブを冷やかしに行くわけでもないので、よく淀川の土手でこの阪急電車の次々の往来を見て時を過ごしていた。
 いや、阪急を見に行ったというより、この淀川そのものが、特に北側の「十三」や「南方(みなみかた)」から土手まであがって、梅田の街を淀川越しに見渡すようにぶらぶら歩くと案外に気分が良かった。
 そのぶらぶらの過程で、阪急線路群が終点になったり起点になったりしたわけだ。
 また自分にとっては何より大好きな“蕪村”の『春風馬堤曲』の舞台でもある淀川だが、京・大坂を結ぶ河川流通の大動脈、それゆえに、西鶴や近松の作品、いや遡って紀貫之や西行の作品にも登場すること度々である。おそらく時代の壁を超えてあふれる詩情を感じさせる川なのであろう。
 そして淀川といえばやはり、デ・レーケ。
 オランダ人技師の彼が、明治の初め、近代日本にどれだけ優れた河川・港湾技術を着実に広めていったことか。
 木曽三川(さんせん)、北上川、利根川、富山湾など難工事へのチャレンジは枚挙にいとまが無い。
 (以上はかつて国会質問のためデ・レーケ関連図書を国会図書館から借りて読んだだけの知識ですが・・・)
 彼の仕事には、今、県として提案している“環境公共”の概念がすでにあり、それは淀川に残されている。
 それを“ワンド”と云う。
 ※ ワンド

 明治の初め淀川を改修し、大阪から伏見まで蒸気船を通すには、約1.5メートルの水深の水路が必要となりました。また、あまり急な水路とすると川の流れが速くなって蒸気船がのぼりにくくなるため、水路をくねくねと曲げて流れを緩やかにすることにしました。そして、その水路が曲がっているところに水があたって水路が壊れないように「水制」というものを設置したのです。
 この工事で用いられた「水制」は、岸から川へ垂直につきだした形をしています。そして木の小枝や下草を使って大きなマットをつくり(粗朶沈床工)、それを何重にも積み重ねて大きな石で川の底に沈めました。
 この水制をつかうと、水の流れは木の小枝の間を通ることができ、穏やかに川の流れを曲げることができました。
 そしてこの水制に囲まれたところにやがて土砂がたまり、その上に水際を好む木や草が生え、現在のワンドの元の形ができたのです。
 ワンドは水の流れがあまりないため、池などにすむ魚たちには暮らしやすく、水辺の植物の生えているところは魚の産卵や仔稚魚が暮らす絶好の場所となったのです。
 このようにしてできたワンドは、さまざまな生き物のすみかとなっています。
 例えば天然記念物のイタセンパラは、淀川ではこのワンド周辺でしか見ることができません。ワンドはまさに貴重な生き物たちのすみかなのです。
 (国土交通省淀川河川事務所ホームページ
 http://www.yodogawa.kkr.mlit.go.jp/know/nature/wando/index.htmより)

 河川の流下速度というのか、水を早く海に出すことを、治水・洪水対策として来たこの国で、よくぞ取り払らわれずにワンドが残されて来たと感心する。
 そんなワンドと淀川の整備状況を見るために、ある初夏の日、河川勉強会のメンバーと相当上流から川沿いを歩いたことがある。
 ふとそんな日々の事も思い出して「十三」で下車した。(雪を考慮して十二分に早く宿を出ていた上に、電車が大丈夫だったから“寄り道してもいいや”と考えた)
 そして、かつてのように淀川の土手に上がった。
 大粒のふわふわとした青森なら春を告げるような雪の夕刻、対岸の繁華街梅田のビル群に灯りがともり出して、川に降る雪とゴーーーっと行き来する阪急電車群は、なおさらにロマンチックだった。

 “あーさぶ(ぃ)”
 傘に積もる雪を何度か払って、夕暮れの街と淀川と電車の雪景色を見ていたけれど、“そうだ、ちょいとネギ焼き食うか”とロマンチックをしているより、冷えて空腹な小腹の窮状を救う事とした。
 「十三」西口へ回って、“やまもと”に入った。
 雪の早い夕方、いつもの行列もなく座れた。
 「スジ」(牛筋肉とこんにゃく煮が具のネギ焼き)と頼んでから、店もお腹も空いていたので「とん平と生(ビール)追加」とひとりで宴会を打つことにした。(あかん、一発で3000カロリーだと注文してから思ったけれど・・・)

 ああ、美味しかった。とっても温まった。さすが、田中康夫先生も激賞する“やまもと”と、ここまではエエ気分で駅へ向かったのだったけれど、
 “あーあ、電車、こら待て。”
 ということで、ご用事には、実は遅れました。赤ずきんちゃんの昔から、道草はしてはいけないと分かっているのに・・・。

 ※ネギ焼き

 お好み焼きのキャベツの代わりに大量の九条ネギが入っていると思って下さい。ネギと特製ソースが香ばしく絶妙に牛筋とコンニャクに絡み、食が止まりません。

 ※とん平(ぺい)

 三枚バラ肉のポークピカタ風の鉄板焼きにゆるゆる目玉焼きが乗っていると思ってください。特製ソースとマヨネーズがたまらない。

三村 申吾

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