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VOL.56 [2008.3.7]
私を川部へ連れてって 4 |
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ああ、大津軽平原の真冬の真っただ中に停め置かれし、662Mと我らの運命やいかに ――が前回まででした。
さて、そんな状況にも動じず、にこっとしてるYさんにその時に思ったのは、かの秋艸道人、会津八一(あいづやいち)の一首(ちょっと状況は違いますが)
あめつちに われひとりいて たつごとき
このさびしさを きみはほほゑむ
その自分の不安気な顔を見てとってか、Yさん、
「食べ物はいっぱいありますよ。姪っ子たちに買ったお菓子6個もあるんですよ。電気は繋がってるんだから、暖房もぬっくいですし、1号車にトイレだってついてるし、飲み物ないけど、何時間も停まらないですよ」
ほんとにYさんは、ガッツが前向きでたいしたもんだと感心した途端に、
「あ、ほらウルトラマンですぐに走ったじゃないですか」
――運転司令と打ち合わせの結果、速度25キロ以下で走ります。到着が遅れますので、お客様に大変ご迷惑をおかけすることをお詫びします。云々・・・。
とても丁寧な今後の案内と状況説明をアナウンスする○田さんは素晴らしい。プロの国鉄マン、改めJRマンとしてきっちり仕事をしている。
高倉健さんの『鉄道員(ぽっぽや)』さんみたいに律義だ。
この国を支えているのは、プロの仕事人だと思う。プロがプロの仕事を、持ち場持ち場でしっかりしてくれているから、そんな人たちに頑張ってもらえるから、日本という国は保たれて来たと信じる。
「ぽっぽやみたいだ、律義な仕事だね」
「ぼっぽやは、ちょっと悲しい映画でしたよね」
自分もしみじみ思い出した。浅田次郎って泣かせる。
「同じ高倉健の『駅(ステーション)』は知ってる?」
「あ、私たち若い年女(としおんな)世代は見てないんですよ」
「(ジャコビニ彗星の日を思い出しながら)そうだよな、24才だったよな」
「えー、覚えてました?冗談云ったのに」
とあっちこっちに行ってる会話のうちに、662Mは慎重に
「北常盤」に着いた。
やれやれほっとした。
「次は川部です。首に注意ですよ」
「Yさんより先に降りるから」
ゆっくりとゆっくりと列車は「北常盤」のホームを離れた。
「すごくゆっくりですね」
「25キロって自転車の倍ぐらいだよね」
「あ、私ですね、30キロで自転車漕いだ事あるんですよ。高校の時、家から川部の駅に通ってたんですけど、間に合わないーって、ガーガーって本当に自分の回ってる脚が見えないくらいの勢いで自転車漕いでたら、スクーターの姉が横に来て、一緒に走って、『ちょっと、Y子、あんたすごいよ、30キロ出てるよ』って云われました。」
「(橋本聖子さんか競輪選手になれたのではないかと思いながら)♪若かったあの頃、何も怖くなかった〜」
と驚きを唄の文句で云ったところ
「いいえ、いっぱい怖かったです。大人になるの怖くなかったですか。雨降るとお父さんが家から駅まで送ってくれて、帰りは迎えてくれて、うれしかった〜。そんな時、子供でうれしかったです。そう思いませんか」
んー哲学的な命題だな、と答えに窮したところ、頼りになる○田さんのアナウンス。
――「川部」に到着します。五能線深浦行は、強風のため鯵ヶ沢行となります。
と云う間に、大雪原をゆっくりゆっくりと我が662Mは
「川部」に着いた。
私たちはドアに挟まれることなく、無事にホームに降り立った。
662Mは、○田さんと共に秋田へと向かって去っていった。
このまま乗っていたら、もっといろんなドラマが待っていたかも知れないな。
ちょっと寂しくなった。
風雲急を告げたり、たらポッキの謎を残したりしたけど、実に充実したツアーでありました。しかして、主役は662Mと共にYさん、と心から深く思ったところでした。
旅は道連れ、世は情け。大変な珍道中でしたが、徒然草の“先達はあらまほしきものなり(吉田兼好)”の言や正しと認識した旅でもありました。
さて、内田百聞に名作『阿房列車』がありますが、月刊「旅」さん、「旅行読売」さんあたりから、ローカル線専門ライターとして、我がチームにお声がかからないかな。
※ たらポッキ温泉
「たらポッキ」という風変わりな名前は、「三幸食品」の珍味の商品名です。
(「たらポッキ」は、いわゆるチーズ鱈)
三幸食品が工業用水のため1984年にボーリングしたところ、高温で豊富な湧出量の温泉が湧いてできた「たらポッキ温泉」。
ロビーの売店では、「たらポッキ」を売っているようです。
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三村 申吾
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