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VOL.57 [2008.3.10]
東部営業所行にて
 天気も良く、日差しがいい。その上、午後まで休みになったので、青森駅前へ出かけた。
 新聞やおにぎりかホットドックでも買って戻るつもりが、次々と路線バスが出発してゆくではないか。
 そうか、乗って行って、駅行きで戻れば良いのだと、バスに乗った。
 (この欄で何度か書いているが、元来の趣味は路線バスツアーである。)
 しかしやはり、流通団地とか道の駅浪岡方面では、帰途の調査もしていないので、いつも県庁の前で見ている東部営業所行にした。ちょっとその場で浮かんだ考えもあったし。
 バスはスイスイスイと国際ホテル前を抜けて、国道4号に出た。
 新幹線が新青森まで来て、並行在来線が移管された時、営業上、バスネットワークとの良い接続がお互いの商売の要となるなあーなどと思っていたら、もう県庁前だ。
 休日だから、バス停には3人もいない。
 バスの車高から見る街の景色は独特だ。
 雪も止んで、こんな休日の暖かい晴れた日には、街の人たちの賑わいや普段の生活が見える。そんな暮らしの中をバスは走ってゆく。
 日常の中の日常を走るのが路線バスだ。
 路線バスの車内では、どの土地でも東京や大阪といった大都会でも、土地の人による土地の言葉で、日々の暮らしに関わる会話がなされる。
 “孫が高校を卒業して東京の大学へ行くとか、娘が春休みに孫たちを連れて帰ってくるとか、野菜が高くなった”など漏れ聞くうちに、休みの日の道はスイスイだね、もう文化会館だ。
 浮かんだ考えとは実は、合浦公園に行っていわゆるブランチに、こしあんの団子と細麺の中華でも食べて帰ろうかというアイデアだが、ちょっと時間が早いかな。
 よし、メタボ対策に少しは手前で降りて歩こうか。天気も良いし、ぬっくいし、しかし、団子追加したら、カロリーはどのくらい歩けば消費できるだろうか−
 なんて頭の中は、くるくる考えている間に右手に諏訪神社。
 “ありがとうございます”と手を合わせる。
 ふと窓の上方が気になる。
 おお、栄町の資生堂の大広告塔だ。バスの窓越しに見上げると青空に見事にマッチしてすこぶるきれいだね。
 マークのデザインといい、色合いといい、青空にふわりと浮かんで、社と製品のイメージを上手に品良く、しかし心に残るようにアピールしている。広告とかいうより、純粋に青空に映し出された花模様としてキレイだ、とってもキレイだ。
 「青森ノ顔」写真を撮って県立美術館で個展をしたアラーキーこと荒木経惟  さんは、ひと頃、とてもいい宙(そら)の写真を撮りまくっていた。
 この感じは、とても気に入ってくれる光景に思えた。「いいね!」「ステキ!」「よし!」って印象的な美しさに撮り上げるだろうなぁと思った。
 合わせて、アラーキーには、日本の全ての都道府県で、今を生きている人たちの姿を撮って残して欲しいと「日本人ノ顔」プロジェクトの成功を祈った。
 ともあれ、シンプルでそのものが美しい広告は、そのものが街の芸術になると少し感動した。
  ――とこんな事を思っているうちに、合浦公園バス停 まで来てしまった。
 数人のお客さんに続いて210円を箱に入れて降りた。
 ぶらりぶらりと溶けたシャーベット雪の感触を長靴で楽しんだ。春の感触だね。
 冬々々の真っ最中は、踏んで歩くとご存知“もこもこもこ”っとする。
 足元はじわっと春に向かっているようだ。
 ぐるり、ぐるーりと遠回りして、ここはあんこを忍耐し、中華だけにして、我慢して汁も残して、さらにぶらぶらと歩いた。帰途は合浦町バス停に立った。
 間もなく青森駅行に乗れた。
 堤橋の上で今度は左手に来た諏訪神社に振り向き、車内から一礼。
 堤橋商店街もアーケード撤去工事の真っ最中だ。融雪歩道になるのだろう。
 撤去によって国道が、というか街そのものが随分広がって見えるものだなと、バスの高さからだといっそう感じた。
 ところで、「広い道」の話となると、三内丸山には、中心部に一本大きな道が通っていて、なんと16mあったと岡田室長に聞いた。
 中心街の道幅が、6.5mもやっとという町や村もあるわけで、いやはや近現代都市計画はちんまりしすぎていたのかな、としみじみ思った。
 もうNTT前。
 本日は牛乳やヨーグルトや冷凍しておく食パンを買わねば、中三前でピンポーンと降車ボタンを押さねばと主夫は考えた。

※ アラーキーは写真だけでなく文章もいい。写真集はどうしても高くてという向きには、文庫で『すべての女は美しい』(大和書房)が手頃かな。
アラーキーには、“女”もいいけど、もっともっとこの国の今の人たちの顔を、100年、200年先に残る写真として、体を大切にして永く撮って欲しい。文も書いて欲しい。やっぱり天才だから。
三村 申吾

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