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VOL.60 [2008.3.21]
『時には昔の話を』

 ジブリの作品は、それぞれ皆いい。その中で好きなものを2つ挙げるなら『魔女の宅急便』と『紅の豚』。
 どちらも飛翔感というか、空を飛ぶシーンにおいて甲乙付け難く好きだ。
 『風の谷のナウシカ』に始まって、ジブリ作品は幾多の空を飛ぶシーンに大変素晴らしいものがあると思う。
 特にこの2作においては、主人公と共に我々見る者も気持ちよく空に浮び、自由に飛び回り、その浮遊した中での地上の景色も、雲の白も森の緑も空の青も海の青も、実に実にうっとりするほどいい。
 『魔女の宅急便』の方は、そりゃ箒(ほうき)で飛ぶわけだから、対地スピードもゆったりだし、面白さ抜群、楽しくってしょうがない。
 箒で飛び回るなんて、今は現実にはないことだとしても、いつか人類が反重力システムを手に入れることができたら(つまり重力を制御し、逆に重力を浮揚力に転換できたりしたら)、自分としては、ハードとしての装置は自動車や宇宙船タイプが現実的としても、是非、箒型タイプか魔法の絨毯タイプも製作して欲しいと心底願っている。
 『紅の豚』の方は、初期のプロペラ機が沢山登場する。また、主人公が豚になってしまっている所が、豚好きの自分としてはいい。この豚パイロットの戦闘機乗りとしての飛行技術がまた素晴らしい。
 プロとしての技量を競い合い、空を自由自在に空中分解の寸前・極限まで飛び回るシーンの数々が、何とも気分を高揚させてくれていいのだけれど、その背景というか空の下に在るアドリア海の島々と海の煌めき、そしてもちろん限りなく透明に近いブルーの空が本当にいい。
 どんなにめまいがするとしても、失神するとしても、助手席に乗って一緒に自由闊達に飛び回ってみたい。
 さて、これこそ大分昔の小説、昔の映画で、覚えておいでの方などもうオジさんオバさんしか居ないかも知れないが、『Out of Africa』(それがなんで『愛と哀しみの果て』という日本題になるのか)という作品があった。
 その中に、ロバート・レッドフォードが、初期のプロペラ機の操縦桿を握って、ヒロイン(原作者)とアフリカの大地を低空で飛び回るシーンがある。
 真っ茶けたアフリカの大地、草原やブッシュや森の緑と動物群、太陽に輝く川面や湿原の鳥の群れや水生動物群、遥かな山々が低空からなめるように映し出されてゆく。その美しきアフリカの天地の間に、レッドフォードとヒロインはただふたりっきりだ。
 それは、アフリカの大地の生命(いのち)と、レッドフォードたちと、私たち見る者とが、ひとつにとけてゆくような見事な飛翔感が得られるシーンだ。
 この実写ゆえの高揚感を、ジブリはよくぞアニメーションで表現できたものだと、我が日本のクリエーターたちの凄腕に自分は感動を覚える。
 どうしてこんなに美しいのだろう、アドリア海は!
 「ブラボー!ブラボー!」と声を上げたいほどだ。
 ところで、我が家人は何が何でも「南極」へ行ってオーロラを見たいと言い続けているけれど、自分なら1週間もらえたら、このアドリア海やエーゲ海、ギリシアやローマといった地中海古代史を体感してみたい。
 あれほどの文化・文明も経済も、石の跡だけを残して衰退し消えたという歴史を感じてみたい。
 ともあれ、紅の豚(主人公)は、ご存知の如くパイロットとしての技量に加えて、人間としての度量の大きさ、優しさ、孤独の陰ゆえにえらくもてるわけだけれど、この豚を一番愛しているのが、マダム・ジーナ。
 アドリア海NO.1の酒場のママ。粋な女だよね。
 このマダムの唄がいい。歌唱力抜群だ。
 『紅の豚』の映画としての主題歌は、『♪さくらんぼの実る頃』という1868年のシャンソンだけれど、自分が映画の感激の名残の中でうっとりとし、溜息と共につい涙しそうになったのが、エンディングに唱われる『♪時には昔の話を』。
 マダム・ジーナこと加藤登紀子が1987年に書いた曲だ。
 ピアノの音に誘われるように流れ出すこの曲がエンディングテーマだからこそ、豚もレシプロ機もアドリア海も世界大戦含みの不安な時代の雰囲気もラストにひとつとなって、感情の高ぶりを押さえられないのだと思っている。

 今日、こんな話を書きたくなったのは、辞令内示があったからだと、筆を執ってみて気がついた。
 今年退職組には、大改革の5年間を共にし、本当に大変な苦労をかけた。とてもひとつやふたつの言葉では云えないほどの苦労を共にしてもらった。
 この退職者たちが若かった頃は、この国が昇る朝日のように成長し、日々日々発展し、経済は伸び、暮らしは確実に良くなり、“JAPAN as NO.1”を実感した時代であった。
 しかし、時代は大きく変わった。
 ある部長が、“県庁130年の歴史にない大改革を我々はやらなければならなかった。県を潰してはならないし、潰れることは県民生活の破綻に繋がることだと決意し、心を鬼にし、働き抜きました。改革の嵐の中で・・・、辛かった”と語ってくれた。
 マダム・ジーナは熱く唱う。
  ♪ゆれていた時代の熱い風に吹かれて、体中で瞬間(とき)を感じた
   そうだね・・・・
  ♪嵐のように毎日が燃えていた。息が切れるまで走った
   そうだね・・・・

 この五年間を苦しくても苦しくても、共に走ってくれた彼らに、心から“ありがとう”の感謝の思いを伝えたい。
 諸君、いつかマダム・ジーナの店でこの歌を唱おうや。

三村 申吾

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