明るさに朝早く目が覚めた。
春分の日を過ぎてから、一気に春めいて来て、朝日の出る時間まで急に早まった気がする。
空が、冬型のどんよりと雲に覆われる状況から、青空へと変わって来たので、東の山の端に昇って来た太陽が、すぐに世の中を明るく照らすことが出来る。
ベランダに出たら、海もキラキラだった。“よっしゃ”と家人に電話した。
「ずいぶん早起きね。」
「ちょっとチャリで出かけるから。春のごあいさつに神社回って来るよ。たまにはしっかり運動しないと」
「えーっ、寒くないの。どっちの方に行くの。」
「うーん、まず久須志さんかな。で、ぐるーっと広田さん、善知鳥神社から青い海公園に出て駅のキヨスク、アウガで焼魚で60分かな。」
出かけようとした所で、ふと考えた。
“この上天気だ。洗濯も勝負だ。ひと走りして来れば、全自動、ちょうどいい60分!”とタオルケットにシーツにパジャマにバスタオルにetc.目一杯入れて回転スタート。
自分も水分補給用麦茶ペットボトルを持って、いざ出発。
しかして漕ぎ出した途端に、“う、寒い。”(太陽いっぱいなのに、放射冷却してる)
“えらく、さぶーい。”
踏切をひとつ越え、またひとつ越え、アレルギーではなく、冷たい空気に鼻水たらーり。
ほとんど根性喪失しかけるものの、神話学の専門家である家人に、帰ったと電話すればいろいろ尋ねられるに決まっているから、せめて当地域鎮守の久須志神社さん迄は頑張ろうと(実際は近いのですが)、冷たい空気抵抗を避けるべく、せいぜい時速10キロで漕いだ。
ゆっくり漕いでもすぐ着いた。ホントに近いのです。
お、先客が真剣にお参りしている。
お邪魔してはならぬと自転車を降りて陽だまりで待っていると、本当にポカポカして、あったかい。
(でも、鼻はでるでる。)お昼には15℃位になるとTVで言ってたなあ。
春が来るんだなあ。けど、桜は連休まで咲かずに踏ん張って欲しいなと思いながら、久須志さんの社歴案内を読む。(以下概略)
※久須志神社
大名持命(オオナモチノミコト) 国作の神
少彦名命(スクナヒコナノミコト) 医薬の神
草創、延宝5年(1678)。以前は薬師堂といわれ、古川村民の産神として崇敬されていた。明治初年、久須志神社と改められた。
伝説では、烏頭(善知鳥)安方中納言が亡くなるとき「安方町から八、九町南西の方に葬るべし」との遺言によって、山の木林(キバヤシ)に葬られたとされる。俗に、木林は現在の境内。
さて、この青森そのものは明治以降の新しい街である。
しかしながら、都人には「やすかた(安方)」「うとう(善知鳥)」「外ヶ浜」をキイワードとする、日本最果ての地としてエキゾチックな旅情をそそったようだ。どちらも新古今時代を代表する歌人、
西行法師の歌に
子を思う涙の雨の笠の上に かかるもわびしやすかたの鳥
藤原定家の歌に
みちのくの外ヶ浜なる呼子鳥 鳴くなる声はうとうやすかた
がある。
しかし、決定的に当地の名を高からしめたのは、世阿弥の謡曲『善知鳥』という事になろうか。
※『善知鳥』 陸奥国外ヶ浜の猟師が善知鳥を殺した報いで、立山地獄で化鳥に苦しめられる様を描く。立山地獄と外ヶ浜といった、当時としては特異な地を舞台に、情愛の世界を鳥の親子「うとう」・「やすかた」の情愛の深さと、猟師一家のそれを重ね合わせる手法で、さらに巧みに表現している。
この大ヒット能『善知鳥』は、いわば室町時代の『津軽海峡冬景色』のようなものだろうか。当時としても、相当に流行ったようだ。
謡曲『善知鳥』以降、江戸時代には徳川吉宗が、善知鳥の鳥そのものに興味を持ち、津軽藩に3羽献上させている。
また、高山彦九郎、菅江真澄が参詣し、山東京伝は、謡曲『善知鳥』を題材に『善知鳥安方忠義伝』を著している。
明治になると、森鴎外までが訪れている。
こういった歴史上の人物のみならず、実は、自分の知己の国文学関係者と学生たちや、「謡い」を習っている知人たちが、ずいぶんと青森安方の地をあるいは、上磯一帯、外ヶ浜の地をこれまでも訪ねている。
余談ではなるが、歌枕である「つぼの石文(つぼのいしふみ)」こと、「日本中央碑(ひのもとちゅうおうのひ)」も人気が高い。
どうしても見たいのだがと、何組も依頼され、多い組はバス一台の学生たちと来青して下さった大学の先生もいる。
現代の観光にとっては、コンテンツが大切だと云われる。
内容が良く、伸びしろの大きな、多様なコンテンツを沢山持つこと、示せることが誘客の別れ目ともなると云われる。
新年度(20年)予算で、私たちは、本県の持つ2大コンテンツである「あおもりJOMONプロモーション事業」と「太宰治生誕100年記念事業」を打ち出した。
前者JOMONは、4道県共同で世界文化遺産を目指すと共に、全国への情報発信・機運醸成のための事業を展開しながら、東北新幹線全線開業に向けた誘客促進を図る。
後者は、太宰治が、2009年6月に生誕100年を迎えることを記念し、小説『津軽』をモチーフとして、“津軽”を全国に向けて強力に宣伝PRすることで、新幹線全線開業に合わせて、誘客を図ろうというものである。
実は、団塊世代や若年世代を中心に、大きな太宰ブームが起こりつつある。また韓国やフランスといった海外の方々が、最近津軽を訪れるようになっている。
既に、終焉の地三鷹などは、太宰の通った銀座のバーを再現するなど先行しているが、太宰治は、金木に生まれ、弘前に学び、津軽に遊び、作品『津軽』を著しているのである。
太宰本命の地は我々青森である、ということで、県内市町村や関連団体と共に、本事業がスタートする。
2010年の新幹線新青森全線開業に向けてのスローガンは
「結集!!青森力」
と決まった。
しかして、「結集」の道は中々に厳しいと思う。
コンテンツで云えば、従来からの誇れる観光地コンテンツである十和田湖、奥入瀬、八甲田、下北、白神等々や、ねぶた、ねぷた、八戸三社大祭のお祭りコンテンツに加えて、様々な新たなコンテンツを再発見するか、あるいは美術館のアート発信事業のように創り出してゆかなかければならない。
そんな今、『善知鳥』や『つぼの石文』といった、渋めだけれどキラッと光る濃いコンテンツが、とても大切になると思っている。
是非、多くの県民の皆様に、県内に隠されたり、忘れかけられたりしているお宝コンテンツを一緒に捜していただきたい。
その意味では下北検定、弘前検定に加えて、8月から青森検定も始まってくる事を、チャンス到来と感じている。
ところで、チャリ健康運動はどうなったのかって?
久須志神社さんの3つのお社にお参りしたので、柔軟な発想で(つまりは寒いのですごすごと)アウガ地下に向かい、熱々ご飯で紅鮭定食をいただいて、清水成駿の東スポをキヨスクで買って、宿舎に戻って、日曜だから入浴剤バブを自分にサービスして朝 しました。
洗濯物も満艦飾にベランダ中に干しました。
近日、もっと暖かい朝に、神社巡りに再トライアルすることにしました。
※つぼの石文
「つぼのいしふみ」とは、坂上田村麻呂が、大きな石の表面に、矢の矢尻で文字を書いたとされる石碑。
つぼの碑のことは、藤原清輔、寂蓮法師、西行法師、慈円、源頼朝、岩倉具視、大町桂月等多くの歌人が和歌に詠ったが、この碑がどこにあるのか不明だったが、昭和24年、東北町で偶然発見され、今は東北町の「つぼのいしぶみ保存館」に保存されている。
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