桜への思いを最も狂おしく歌にしたのは、やはり西行だろうか。
願わくは 花の下にて春死なむ
その如月の 望月のころ
しかも西行は、自らの詠んだ歌の通り、旧暦如月の桜の花の満開の下で命を終えた。
さて、3月中旬に上京した時は、霞ヶ関の外務省の、いつも早い東南角(さすが!)の桜だけが開花していたのだが、ゆうべの東京は桜が満開だった。
夜の最後の仕事は、「元気あおもり応援隊」との懇談会だった。縄文遺跡群を世界文化遺産に選んでもらうための戦略を練ったのだ。
熱っぽい会議になって、大変に良い意見やアイデアが出されて、20時終了予定を大きくオーバーして終わった。
会場が神谷町だったのでふと思い付き、興奮をクールダウンしがてら、アークヒルズ、桜坂へとホテルオークラの丘を越えて歩いた。
アークヒルズ周辺から桜坂にかけて、どの枝も桜がびっしりと満開で、まさに匂い立つばかりだった。
ビル街の夜桜はライトアップされて、妖しく美しい。
ただ、昨夜は少し寒さ(花冷えというのだろうか)ゆえに、そぞろ歩く人々は多いものの、ワンカップとビールで大騒ぎの酔客は女性軍団一組だけだった。
初めに記した西行ならずとも、私たち日本人は実によく桜を愛でる国民だ。
そして多くの日本人にとって、桜の春は思い出あふれる時期でもある。
桜の花に迎えられてランドセルをしょって小学校に入り(いや中学も高校もあるいは大学も就職も)、桜の花に見送られて(いろんな意味で)卒業してゆく。
私たちにとって、人生の大きな節目節目に欠かすことのできない光景は、あるいはその背景にあるのは、桜の花々である。
いつでも、出逢いとそして別れの時に在った景色は、桜である。
(確かに北国である青森人にとって、桜は4月下旬のものではあるけれど、むしろ出逢いと別れから少し時を経たことで、思いが濃くなった時に咲いていたのが桜である)
県庁の場合、今年は3月31日に256名が退職し、4月1日に28名を採用する。
大変に厳しい5年間をともに駆け抜けた256名だから、特に自分としては思いが濃い。そして、直属の秘書たちも課長以下がらりと替わる。
さまざまのことおもひ出す桜かな 芭蕉
一人ひとりに感謝の思いを、ただ“ありがとう”と伝えたい。
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