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VOL.71 [2008.4.21]
私を、洋館とフランス料理の街へ連れてって1

 仕事でJALによく乗る。
 (別にANAが嫌いなのではない。今は、青森の空を飛んでいないからであって、他意はない。)
 大抵の場合には、機内で席に着くと、飛び立つ前にコトンと眠りに落ちてしまう。よほどグオングオンというエンジン音のリズムにα波でもあるのだろうか。目覚めるのは、“あと15分で当機は○○空港に到着いたします。お座席のシートベルトを・・・”のアナウンスでだ。
 機内誌を眺めながら、いつの間にか寝ていたりすることもある。
 ある時、目覚め際に冷茶を持って来て下さったキャビンアテンダント(今は田中康夫先生の好きな「スッチー」という表現はしないようだ)のお姉さんから
 “弘前の街はようかんとフランス料理が素晴らしいそうですね。私どもの今月の機内誌「SKYWARD」に載っております”
 と誉められた。
 が、まだ寝ぼけていたから、一瞬「ようかん」を“ん?、開雲堂さんは最中だし、うちわは戸田さんのお餅だし、どの店だっけ?”と迷ったので、
 “とっても好評ですから、ぜひお訪ね下さい。どちらも美味しいですよ”と答えた。
 さりげなく機内誌をパラパラとめくって「洋館」であったと気づいた。

 手元に『ようこそ、フランス料理の街へ』という丸谷馨さんの好著がある。
 帯コピーに
     真っさらな皿に描く
         挑戦者たちの夢
 とある。いい本だからさらにPRしたいので、引用する。
 「洋館とフランス料理の街ひろさきー。
 本州最北端の城下町にあって、かくもハイカラな土壌とは、激しく流動する時代の波に翻弄されながらも果敢に挑戦した者たちによってかもし出された。
 フランスをはじめ、ヨーロッパではミシュラン(ガイド)を手に各地方の特色ある食材をもとにしたスぺシャリテ(名物料理)を求め、人々は「食」に情熱を傾け旅をする。
 青森県もまた豊かな自然が育む食材の宝庫。はたして、独自のスぺシャリテは誕生するのか・・・。
 食文化という身近な視点から、貴重な資料を交えて知られざる史実を発掘し、多様性に満ちた歴史をもつ青森県の近・現代史を描くー。」

 弘前はしょっちゅうお邪魔しているわけだが、お昼に中華か津軽そばをいただく事は多くても、実はフランス料理のお店に寄った事は無い。というか、日々時間を厳しくやり繰りしているから、たまにゆったりランチと思っても、とにかく早く早く早く食べられることが必須なのである。
 しかし、今まさにチャンスが到来した。というより、機会を作った。
 “おいYさん、花見会を企画してくれ”
 “何か希望はありますか”
 “たまに青森じゃなくて、洋館とフランス料理の弘前に行ってみたい”
 “「ようかん」ですか。甘い物食べたいんですか。そんな「やらと」みたいな店ありましたっけ。「夜の梅」とか「おもかげ」とか弘前にあります?”
  ※「やらと」  この冗談は、「ようかん」と云えば、日本代表の「とらや(虎屋)」さんが、昔風に右から店名を「やらと」と書いてあることをYさんは云っている。
 “「ようかん」ではなくて、旧い建物の「洋館」。いいから、M君と相談して、サーベイで見てくれ”
 “見なくっても、高校は弘前ですし、「大食いの会」の関係で食べ物屋は詳しいんですよ。ワタシが決めてヨイですか?”
 “いいよ。そうか、フランスからお客様が来たら、案内はYさんに頼もう。で、「大食いの会」って何だ?(その短命県を助長する如き、食生活改善運動を蹴散らす如き)そんな恐ろしい会がどこにあるんだ。”
 “職場の仲間たちで、時々集まっていっぱい食べるんですよ。いっぱい呑むし、楽しい会ですよ。カ、カ、カ、カ、カ”(烏天狗のように笑ったぞ)

 かくして、毎度本文に到るまで長い前置きを経て、私たちはM君の運転でもって、洋館とフランス料理の街へ向かうこととなった。

三村 申吾

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