♪ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ・・・
森山良子さんのこの唄が流れる。
6月23日は沖縄慰霊の日。
休暇をとって摩文仁の丘での追悼式典に参列して来た。
そもそもは病床のいっちゃん(岡部伊都子さん)にかわって、沖縄で戦死した許婚の邦夫さんを平和の礎(いしじ)に訪ねようと早くから日程調整していたのだけれど、4月29日にいっちゃんも邦夫さんのところに往ってしまった。
だから、何ともやるせなく切ない思いで、しかし、いっちゃんもこの丘のどこかで邦夫さんと平和を祈念しているのではないかと、大阪府 木村邦夫と刻まれた碑を拝んだ。
もちろん、本県出身者の方々の碑にもお参りをした。
平和の礎には、沖縄戦でのあらゆる戦没者が、敵味方の区別なく、一般市民もふくめて、その名前を刻まれている。
二十数万の名前が、淡々と刻まれているそのシンプルさこそが、平和への思いと願いを強く喚起する。
6月の沖縄の太陽は強烈だ。刺すように熱い。
そんな暑さの中の正午、黙祷のサイレンが島中に響きわたる。
静かに祈る中、一面のさとうきび畑から“ざわわ ざわわ”と風が吹き抜けてくる。
風の音もひたすらに平和を祈っているが如くに。
付記
式典の際、自分の前列に小さな男の子が座っていた。
“「平和の詩」朗読、読谷村立読谷小学校4年嘉納英佑くん”と呼ばれた彼は、
“はい”と返事をして、詩を朗読した。
会場のあちらこちらから涙をすすりあげる音がした。
沖縄県からいただいた資料から全文を書き写す。
世界を見つめる目
読谷村立読谷小学校 四年
嘉 納 英 佑
やせっぽちの男の子が
ほほえみながら、ぼくをみつめた
テレビの画面の中で・・・
ぼくも男の子をみつめた
どんな事があったの? 何があったの?
何も食べる物がないんだ
でも、ぼくは生きたい
くるしいけど、あきらめない
ぼく がんばるよ
えがおが あふれる
生きる人間の力強さを感じた
ぼくは 真実を見つめる目を
持ちたいとおもった
悲しそうな目をした女の子が
なみだをうかべながら、ぼくをみつめた
テレビ画面のなかで
ぼくもその女の子を見つめた
なぜ、悲しい顔をしているの?
なぜ、ないているの?
せんそうで、家族もいなくなっちゃった
家も 友達も
全部、全部なくなっちゃった
悲しいよ さびしいよ
どうすればいいの 助けて
大切なものをなくした人間の弱さを感じた
ぼくは 涙をふいてあげる
やさしい手を持ちたいと思った
きずだらけの男の人が
苦しそうな顔をして ぼくを見つめた
本の写真の中で・・・
ぼくも男の人をみつめた
どうしたの?
いたいでしょ 大じょうぶ?
あらそいからは なにも生まれはしない
おたがいにきずつくだけ
にくしみがつのるだけ
人間のおかしたあやまちの大きさを感じた
ぼくは やさしくてあてしてあげる
あたたかい心を持ちたいと思った
ぼくのとなりで
おじいちゃんが
自分の目で見てきたできごとをぼくに伝えた
苦しかったせんそうのできごと
おばあちゃんが
自分が体験してきたできごとをぼくに伝えた
こわかった そかい先でのできごと
お父さんが
自分が聞いたできごとをぼくに伝えた
食べる物がなく 苦しんでいる人がいる事
家がなく つらい思いをしている人がいる事
家族とはなればなれになってしまっている人
ざんこくでひさんなできごと
悲しくなった つらくなった
お母さんが何も言わず
ぼくをだきしめた
むねがいっぱいになった
あたたかいぬくもりが
ずっとずっと ぼくの中にのこった
みんながしあわせになれるように
ぼくは、
世の中をしっかりと見つめ
世の中の声に耳をかたむけたい
そしていつまでも
やさしい手と
あたたかい心を持っていたい
いっちゃんにも、この声が届きましたか。21世紀の平和を支えてゆく心がこうして育ってきています。
だからどうか、空の上からこの子たちの未来を見守ってください。
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