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VOL.91 [2008.9.4]
私を田んぼアートに連れてって1
T(妻) “せっかく行くんだから、道の駅でトマトかアスパラ買って来てね。待たせちゃだめよ。ほらほら”

 と愚妻に急かされて、いそいでズック靴を履いた。田んぼやお城の探検だから、歩き易さは大切だ。外に出ると、もうYさんのマーチが着いていた。

“ほら、やっぱり時間前に見えてたのよ。出かけるっていうとトイレに行きたくなるんだから。”
“途中で慌てるよりいいでないの。”
“すいません、Yちゃん。今日もうちのダジャレおやじをよろしく相手してやって下さい。全然理解できないオヤジギャグなんか無視してね。”
“いえいえ、結構解るんです。年代それなりに近いですから。”

 いつもながらYさんのフォローは絶妙だ。
 予定の15時。我々は共通話題の♪森高(千里)を鳴らしながら、一路「城」を目指し、出発した。お城は16時半には閉まるらしい。
 さて、その城には築城間もなく、金太郎さんに声をかけられ登城したことがある。
 故須藤金太郎村長には、新人町長として大変可愛がってもらった。当時、田舎館は企業誘致がどんどん進んでいて、自分は勉強に行った。
 あちこちに工場を見学させていただいた後、最後の靴メーカーで足のサイズを問われて答えるや、あれよあれよという間に眼の前でビジネスシューズが出来て行き、プレゼントされたことを思い出す。
 自分は早い時期に町長職に就いたればこそ、金太郎さんのみならず、本県の名物町村長さん方に学べた事は多く、また大きい。

Y “あれ?森高に聴き入って、静かですね。”
“モリタカや昭和は遠くになりにけり。”
Y “何云ってんですか。森高は平成ですよ。遠くなってるとすれば、お得意の太田裕美じゃないですか。”
“いや、実はしみじみと金太郎村長さんのことを偲んでいたんだ。”
Y “しんみりしてる所ですが、金太郎さんと云えば、マサカリ、足柄山、熊と連想するのは、私の年代までのようですよ。森高さえ、甥っ子姪っ子には過去です。ところで、田舎館には熊は出ないですね。空港と違って山がありません。”
“でも、美術館には出たと云われてるけど。”
Y “それは入館者をあおもり犬の手ならぬ熊の手で集めるようになるぞっていう予兆ですね。人体の不思議も大ナポレオン展も熊手で掻き集めたように人々々でしたよ。”
“ああ、シャガール展の夢よ、もう一度!”
Y “私、父と母と大ナポレオン展に出かけたんですけど、レストランもいっぱいでしたね。待ってる人が居たのですよ。私たちのレポートした寺山展と較べると、すごい熊手状態でしたよ。”

 打ち合わせた訳ではないけれど、
  ♪ある日〜 森の中 熊さんに 出会った〜
   花咲く森の道 熊さんに出会った〜
   熊さんの いうことにゃ〜
   お嬢さん お逃げなさい〜
 と我々は絶妙なハーモニーで唄い出した。
  ♪スタコラさっさっさのさ〜
   スタコラさっさっさのさ〜
 なんて脳天気な唄なのだろう。α波出っぱなしだ。

 さて、本日向かっている田舎館城は、24万人が田んぼアートシーズンに登城するという。お米が美味しい。トマトもアスパラもカボチャもナスも毛豆もトウモロコシも美味しいのに、熊さんが出ないのは何よりだ。
 と少しだけ静かにしていたら、鼻唄中だったYさんが、絶好調という如く、呪文を唱え出した。

Y “水兵リーベ僕の船ナムアルシップスクールアル”
三村 申吾

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