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VOL.264 [2017.1.24]
銀座ナウ!?
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たまたまテレビをつけていたら、作詞家松本隆の特集をやっていて、見出した途端に
太田裕美が『袋小路』を歌い始めた。
“太田裕美”なんて80年代ですらない、もひとつ古い70年代も前半『雨だれ』デ
ビューだ。
自分は高校生だ。40余年は昔の人だ。
♪ひとり雨だれはさびしすぎてあなた呼び出したりしてみたの
♪恋人よ僕は旅立つ東へと向かう列車で
♪薄日があたる石畳みち曲がりかどにはあの店がある
♪冬がうずまく青空カチンと凍った溜め息鎧戸から覗く雪道あなたの背中を追った
太田裕美のそんなノスタルジック過ぎる歌を聞いてるうちに、とてもとても悲しく
なった。
海外出張から帰って、積んであった年賀状のお返事に頂いたハガキのひとつに
「暮れの27日に○○が亡くなり、慌ただしいままに今となりました」
とあって茫然とした事を痛切に思い出したからだった。
高校時代の友○○君とは、共に上京し、本当にいろんな事をした。
ただ社会人になってからは仕事が全く別世界となり、加えて自分は帰郷し、それでも
たまには東京で会ったりしていたが、何年か前に母上のお悔やみにご実家へ上がった
事への御礼の電話を頂いたのが、最後となってしまった。
「本当にいろんな事」と書いたが、そのひとつが、太田裕美絡みだった。今でも鮮や
かにそのシーンを思い出す。
恥ずかしながら、高校生の頃から自分は太田裕美ファンだった。
それが森高へきゃりーへと、どう脈絡があってつながるのか、自分ではわからない
が、家人が云うには、時代のひねもんが好きになるんじゃないの。馬でもそうでしょ
との分析だ。
ともあれ自分は、太田裕美ファンでLPレコードの数々をしっかり持っていた。
当時ははつかり号で8時間、十和田や八甲田なら12時間かかる華の東京で、驚くなか
れ笑うなかれ、自分は、ポータブルな白黒テレビを見ていた (何しろ40年以上前だ
から、青森から上京したヒトの感覚では白黒は結構普通!!)。親戚が不要だからとく
れた、ラジオみたいにアンテナを伸ばして受信する、当時としてもレトロな代物だっ
たが。
そのテレビで夕方「銀座ナウ」なる当時の人気番組を漫然と見ていたら
−太田裕美さん○月○日登場、観覧希望者はハガキでどこそこへ−
と言う事でハガキを出してみたら、当選☆
4人行けるとの事で、一緒に上京したM1君、M2君、○○君と銀座に出かけた。田舎
者の私たちは和光は勿論遠慮して、今は青天の霹靂と魚類の販売で大変お世話になっ
ている三越玄関のライオンで待ち合わせして、確かその三越の裏の方にあったビルの
生放送へ行ったんだった。
と、書いてるだけで、その頃の、まだ少年の○○君の笑い顔、笑い声、クラシックが
好きでいつもマエストロ真似して、太田裕美のレコードを聞く時にも、勝手に指揮を
取って笑わせてくれた、とてもきれいで長かった手の指まで思い出されて、泣けて泣
けて、本当に涙そうそう だ。
再々ともあれ。そのビルのスタジオで随分待って、拍手や声のかけ方を習って、太田
裕美が来て、トークして何曲か歌って、4人で会場で騒いで、多分三越でマクドナル
ド食べて、「ちっちゃいけど、めごがったよな」などなど、云いあってそれぞれの下
宿に帰ったんだった。
友よ、さらば。
でも「いろんな事」また急に思い出すだろう。キミの事、忘れない。
今度、まだ東京にいるM1君誘って、絶対銀座でマックしてから、ライオンで献杯す
るって約束する。
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三村 申吾
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